十七世紀のパリにおける

ヴァンドーム広場place Vendôme

1734年でのパリにあるヴァンドーム広場
でのテュルゴの地図Plan de Turgotによるヴァンドーム広場place Vendôme

でのヴァンドーム広場

リヴォリ通りrue de Rivoli (新しいタブで開きます)に開かれる前に、ヴァンドーム広場 (新しいタブで開きます)は今とはとても違う顔でした。

広場は、まず、正方形で建設されました。

しかし、この形が固すぎると見なされたため、に、正面の一部が壊され、そして、からすぐ、現在の八角形で再建されました。

に作られたテュルゴーの地図plan de Turgot (新しいタブで開きます)を細かく見ようとすると:

テュイルリーTuileries (新しいタブで開きます)側、カスティグリオーヌ通りrue de Castiglione (新しいタブで開きます)図 1)、

オペラOpéra (新しいタブで開きます)側、ペ通りrue de la Paix (新しいタブで開きます)図 2)、 まだ切り開かれてはいませんので、広場は一層静かに見えています。

1734年で、カスティグリオーヌ通り側の、パリにあるヴァンドーム広場
図 1 でのカスティグリオーヌ通りrue de Castiglioneの切り開き前、サントノーレ通りrue Saint-Honoréからの出入り

広場への出入りは:

テュイルリーTuileries (新しいタブで開きます)側では、サントノーレ通りrue Saint-Honoré (新しいタブで開きます)図 1),

オペラOpéra (新しいタブで開きます)側では、カプシーヌ通りrue des Capucines (新しいタブで開きます)図 2)、 からしか出来ていません。

1734年で、ラ・ペ通り側の、パリにあるヴァンドーム広場
図 2 でのペ通りrue de la Paixの切り開き前、カプシーヌ通りrue des Capucinesからの出入り。

ですから、広場は、とは違って、通過するものではありませんでした。

オペラOpéra (新しいタブで開きます)側では、現在ペ通りrue de la Paix (新しいタブで開きます)の位置に、カプシーヌ修道院couvent des Capucines (新しいタブで開きます)図 3)がありました。

2番目のカプシーヌ修道院、パリにあるヴァンドーム広場、1705年
図 3 でのペ通りrue de la Paixの切り開き前、二番目のカプシーヌ修道院couvent des Capucines

そこの教会に、ポンパドゥール夫人Madame de Pompadour (新しいタブで開きます)と、その妹とお母さまも、葬られることになりました。

広場の真向こう、テュイルリーTuileries (新しいタブで開きます)側では、もう一つの大門がそれに答えていました。

それは、別の大門、フイヤン修道院couvent des Feuillants大門(図 4)でした。

フイヤン修道院、、パリにあるヴァンドーム広場、1754年
図 4 でのカスティグリオーヌ通りrue de Castiglioneの切り開き前、フイヤン修道院couvent des Feuillantsの大門

広場の真ん中に、『ルイ大王Louis le Grand』といわれる ルイ十四世Louis quatorze (新しいタブで開きます)の銅騎馬像が、からすでに立っています(図 5)。

大王ルイ銅像、パリにあるヴァンドーム広場、1699年
図 5 での広場の真ん中、ルイ大王Louis le Grand銅像。

フランソワ・ジラルドンFrançois GIRARDON (新しいタブで開きます)作の印象的な作品です。台座を含むと高さは、17㍍に達成していました。

フランス革命 (新しいタブで開きます)が破壊させたが、王のでか足の一つは鋳造に生き残ることが出来て、パリ市立歴史博物館であるカルナヴァレ博物館Musée Carnavalet (新しいタブで開きます)に展示されています。